創業から75年。福岡・柳川の地で受け継がれてきた料亭旅館・御花は、いま大きな転換期を迎えています。コロナ禍をきっかけに見つめ直した「宿泊」という価値、スタッフ全員でつくり上げたリニューアル、そして未来へつなぐための新しい挑戦について代表の立花 千月香さんにお話をお伺いしました。ひとつのビジョンに、全員で向き合う。——コロナ禍に新しい人材を積極的に採用されていましたが、既存スタッフとの関係性で意識していることはありますか?「新しい人」「前からいる人」という区分けを、私はあまりしたくないんです。どちらが良いとか悪いとかではなく、全員に対して等しく、御花が目指す方向を丁寧に伝えることが大事だと思っています。だからこそ、コロナ禍で少し時間の余裕ができたタイミングを活かして、3ヶ月に1回、旅館を1日休館にして『OHANAISM』と呼ばれる社長研修の場を設けました。その時間は、私が直接スタッフ一人ひとりに話をする機会でもあります。最初は、視点も価値観もバラバラでした。でも、定期的に言葉にして伝え続けることで、次第に考え方に共通の軸ができてきた。「昔からの人はこう思っていて、新しい人はこう考える」ではなく、「これからの御花ならどうするか」という未来思考で全員が動けるようになってきたんです。どんなに優秀な経歴を持つ人が来ても、その人ひとりで会社が変わることはありません。逆に、考え方に共感し、同じ方向を向いて働ける人が集まることで、御花は自然に変わっていく。そう信じています。危機から見えた、宿泊の可能性。——御花のリニューアルの背景には、コロナ禍での変化があったとお聞きしました。そうですね。私たちはもともと、婚礼や観光など、大人数をお迎えする日帰り利用が売上の大部分を占めていました。宿泊の売上は全体の1割程度。正直、「20室しかないこの宿に、わざわざ泊まりに来てくれるのか」と思っていた部分もありました。でも、コロナ禍で婚礼がキャンセルになり、観光客の足も止まり、投資どころか維持することさえ難しい状況になった。そんな中で、唯一稼働できていたのが宿泊事業だったんです。GoToトラベルやマイクロツーリズムの流れもあって、「御花って泊まれるんだ」と気づいてくださる方が増えていきました。そこから、初めて“宿泊”に本気で向き合うようになった。たとえば、お舟での朝食、大広間を夜でも開放する取り組み。以前は見学時間が9時から18時だったのを、宿泊者が夜も楽しめるように変えたんです。泊まらなければ見えない景色、体験。そんな価値を、みんなで探して、形にしていきました。「せいろ蒸しも食べた、館内も見学した、お舟にも乗った。じゃあ今から何をしたらいい?」とお客様に聞かれてスタッフが困っていた以前の御花が、今では“滞在そのもの”を提案できる宿へと変わっていったんです。その変化が、リニューアルを決意する大きな原動力になりました。ちょうどそのタイミングでハード面に使える補助金があり、「今を逃したら次はない」と腹を括りました。サービスは、自分たちで見て、感じて、育てる。——リニューアルで一番苦労したことは?何よりも大変で、でも一番楽しかったのは「目線を合わせる」ことです。どれだけ一部のメンバーが頑張っても、全員の目線が揃っていなければ意味がない。だから、視察には大きく投資しました。ネットやSNSで見た情報だけでは分からないリアルな空気を知ってほしくて、スタッフ全員を4班に分けて視察に出しました。私もすべての班に同行しました。「あの接客、どうだった?」「あの空間の心地よさ、何が理由だったと思う?」と移動の車中でもずっと対話を重ねて。現場で見たもの、感じたことが、御花にどう活きるかを一緒に考える時間は、何よりも貴重でした。そして、それを経て館内備品を自分たちで選び、理由を語れるようになったんです。視察先で「これはオーナーの趣味です」と説明されていたのを聞いたとき、スタッフみんなで「私たちなら、どう説明したいだろう」と自然と考えるようになりました。ロビーの選書を担当したスタッフが、ブックエンドを石にしたいと稟議書を出してきたこともありましたし、料理人が「この器で出したい」と提案してくれたこともありました。「藩主の末裔が営む宿」という大きな軸はありながらも、それをどう表現するかは、みんなが主体的に考えられるようになった。私一人で引っ張るより、それぞれの能力を信じて任せることで、御花はより強く、しなやかに成長してきたと思います。想いを、100年先まで届けるために。——スタッフの意識がそこまで変わった要因は、視察だけではないはずです。その通りです。振り返ると、私が社長になった2015年の頃、「世界の御花を目指します」と話したら、みんなに苦笑されました。「現実が見えていないのでは?」という空気も感じました。でも私は本気でした。文化財を未来に残すには、世界水準の価値を持たせなければいけない。国内だけを見ていては生き残れないと感じていたんです。ただ、当時の私は、自分が見ている“ビジョンの先”をうまく共有できていなかった。1から伝えるべきところを、いきなり8から話してしまっていたんですね。だからこそ、それ以来ずっと、「100年後に御花が存在しているために、今この10年をどう生きるか」という問いを、何度も、何度も言葉にして伝えてきました。最初は「100年後って何?」という反応だったスタッフたちも、今ではそのビジョンを自分の言葉で語れるようになっています。私ひとりの夢物語ではなく、皆が地に足をつけて、同じ方向を見て進めるようになった。それが、何よりも嬉しい変化です。それぞれの強みを活かす、役割分担という選択。——働き方について、チーム内で意識されている工夫はありますか?御花の仕事は、人と向き合う接客業でありながら、同時に数値や仕組みも重視される経営の現場でもあります。でも、その両方をすべての人が同じレベルで担おうとすると、どちらも中途半端になってしまう。だから今は、スタッフの得意分野に応じて明確に役割を分けるようにしています。数字や効率を考えるのが得意な人には、現場の無駄を見つけて改善してもらう。一方で、お客様と心を通わせる接客に集中したい人には、そこに思いきり力を注いでもらう。無理に全部を抱え込ませない。苦手を剥がしていくことで、それぞれがより得意なことを深めていけるようにしているんです。「接客に集中していい」と伝えられたスタッフが、お客様との会話の中で生まれる小さなアイデアをどんどん形にしてくれるようになりました。その積み重ねが、御花の“らしさ”を育ててくれていると感じています。10日間の連休が、働き方を変えた。——スタッフのモチベーションや働き方を大切にされていると感じます。具体的な取り組みがあれば教えてください。私がずっと思っていたのは、「いい人材を集めたいなら、まずこの業界を "憧れられる仕事”にしなければならない」ということです。宿泊業界は、どうしても“過酷”というイメージを持たれがちですが、本当に人の心を動かす仕事だからこそ、働く人たちが誇りを持てる環境をつくりたいと思っています。そのひとつの取り組みとして、昨年から全スタッフに対して「年に一度、10日間の連休取得」を義務づけました。10日間あると、しっかりリフレッシュができます。どこかへ旅に出て、新しい感性に触れたり、自分のペースで心と体を整えたり。それだけではなく、長期休暇を取るためには、日頃から自分の業務を整理し、誰かに引き継げる体制を整える必要があります。結果的に、個々の業務の見える化が進み、チーム全体の生産性も上がりました。戻ってきたスタッフの顔つきが明るくなっていたり、旅先で得た刺激をすぐにサービスに活かしたりする場面を見ると、やってよかったと心から思います。これからの御花を、共につくる人へ。——最後に、御花のこれからについて教えてください。これからの御花を考えたとき、もちろん世界に通用する宿にしていきたいという気持ちはあります。でも、インバウンドのお客様が8割になるような未来を目指しているわけではありません。私たちにとって、御花に家族で訪れて、子どもたちが走り回る姿を見ることが一番幸せなんです。スタッフもその光景に自然と笑顔になる。それが、御花らしさだと思っています。そしてもうひとつ大切なのは、文化財としての御花を、100年後にちゃんと残していくこと。コロナ禍を経て、「ここに来てもらわないと価値が届かない」状況の危うさも痛感しました。だから今は、催事への参加やEC事業など、“御花を外へ届ける”取り組みにも力を入れています。たとえば、催事で鰻のせいろ蒸しを販売する時も、ただ商品を渡すだけではありません。「私たちは柳川から来ました」「御花という文化財の旅館がつくる料理です」と一言添えることで、その一品の背景にある物語を届けることができる。御花の魅力は、そういう“人が語る言葉”の中にあると思っています。話すのが得意なスタッフだけが話せばいいのではなく、全員が語れるようになることで、愛着や誇りも育っていく。話すことが得意な人だけが御花について語るのではなく、誰もが自然と語りたくなるような環境があることで、宿への愛着や愛情はより深まっていくと思います。そしてその言葉は、どんなに優れた営業トークよりも、いま目の前にいるお客様の心にまっすぐ届く力を持っています。そんな一人ひとりの想いを力に、次の100年の御花を、一緒につくっていきたいと願っています。文章・編集:田中幹人写真:田中幹人hoteltree(ホテルツリー)は、働きたいホテルが見つかる求人サイトです。宿泊業界の離職率は約30%。入社する理由と、続けられる理由は異なると考えています。続けられる理由まで考え、ホテル業界の取り組みや支配人の想いを紹介していきます。ミスマッチを減らすことを目的に、誠実なホテルと宿泊業を志す人々、それぞれに真摯に向き合っていきます。