箱根・仙石原。都心から90分、静けさに包まれたこの場所に、ひらまつが掲げる「滞在するレストラン」という思想を体現するホテルがあります。〈THE HIRAMATSU HOTELS & RESORTS 仙石原〉では、チェックインから夕食、そして朝のひとときまで、すべての時間が一つのコース料理のように設計されています。“食”の体験を中心に据えながらも、その背景には、心を澄ませ、空気を読む力が求められる“控えめなサービス”の哲学があります。「強さと優しさを併せ持つ人に来てほしい」──女将 岩﨑純子さんの言葉には、サービスや料理を通じて人が育ち、未来へ羽ばたいていく場所でありたいという思いが込められています。小さなホテルだからこそ得られる、気づきと成長。ここ仙石原で働くということの意味が、少しずつ深まっていきます。仙石原とホテルについて——仙石原はどのような地域ですか?仙石原は、都心から車でおよそ90分。自然に囲まれた、静かな保養地、避暑地です。東京から訪れてくださるお客様が多く、特に「土日に1泊だけ」というご利用がしやすい距離感が大きな魅力です。箱根は大きく4つのエリアに分かれます。湯本、強羅、元箱根、そしてここ仙石原。中でも仙石原は静岡寄りで、全体的に落ち着いた雰囲気のある場所です。周辺にはゴルフ場や美術館もあり、箱根の中では少しマイナーな存在かもしれませんが、それがまた魅力でもあります。——THE HIRAMATSU HOTELS & RESORTS 仙石原は、どのようなホテルでしょうか?全20室の小さなホテルです。本館が11室、レジデンスが9室。それぞれの部屋には異なる絵画やアンティーク家具が配されていて、創業者の平松氏が絵や家具の選定まで、細部にわたりこだわってつくった空間です。開業の直前にベッドの配置を変えて設計士の方を驚かせるほど、創業者の空間設計が反映されています。館内にはシャガール、ピカソ、レジェといったフランスの巨匠たちの作品に加えて、片岡球子さんや草間彌生さんのアートも並びます。ロビーはもちろん、エレベーターの中にまで作品が飾られているんですよ。本館・レジデンスのすべての客室に新姥子温泉の源泉かけ流し風呂を備えており、「温泉に浸かって、美味しい食事を楽しんでリフレッシュしたい」というお客様に多くご利用いただいています。夕食を滞在のピークに設計する——「滞在するレストラン」というコンセプトを、どのように体験に落とし込んでいますか?私たちは、滞在のピークを“夕食”に設定しています。そのため、たとえばチェックイン後にアフタヌーンティーを提供するようなことはしません。せっかくのディナーが満腹で楽しめないともったいないので。仙石原のレストランではイタリア料理を召し上がっていただけるのですが、夕食の時間帯は最も人員を厚く配置して、2時間半のディナーを最高の体験にできるよう心がけています。チェックイン時には、当日のコースメニューをお見せして、お客様にご質問を伺っています。即時対応は簡単ではありませんが、その時にわかるアレルギーや苦手な食材、逆に好きな食材があれば、できるだけディナーに反映できるようにしています。「チェックインしたらすぐ部屋に入りたい」というお気持ちもよくわかるのですが、“滞在のピークを演出する”ための大切なステップだと思っています。海外のお客様から「ビーガンです」とご申告いただくこともあります。その際は、通常メニューとは別に、ベジタリアン/ビーガン対応のメニューもご用意しております。インバウンドのお客様は年間通じて約25%位ですが、多い月だと40%位まで上がります。シェフと事前に打合せしておくことにより、スムーズにお客様に提案できるよう準備しております。異国の土地での食事は、楽しみであると同時に不安もある。だからこそ、安心して楽しんでいただける工夫を重ねています。ミシュランキー掲載後の変化——2024年のミシュランキー掲載後、変化はありましたか?海外からのお客様に「このホテルをどうやって知ったんですか?」と尋ねると、「ミシュランキーを見て」とおっしゃる方がいらっしゃいました。でも、来館数として目に見えて増えたというよりは、“認知のきっかけの一つ”という印象です。私たちは、ドラマの”グランメゾン東京”であったような「星をとるぞ!」というようなスタンスではありませんでしたので、正直、ミシュランキーに掲載されたときには驚きました。ミシュランキーは新しい制度なので、どのようにすれば掲載されるのかなどは分かりませんし、私たちのサービスは星やキーが目的ではありません。ですが、アンケートの回答を見ていると、ホテルに対する期待値は確実に高くなっていると感じます。その期待に、丁寧に応えていきたいと思っています。社内教育の仕組み——サービスや食に関する知識向上の仕組みについて教えてください。仙石原のスタッフの中には、かつてひらまつのレストランで働いていたメンバーもいます。そうした人たちの動きを現場で見ながら学ぶ、いわばOJTの形で習得していくことが多いです。私自身は、もともとひらまつのブライダル部門に長くおりました。だから「これはこうするんだよ」と、背中で見せることも大切にしています。最近では、社内で導入された動画ツールを活用することも増えてきました。ベテラン社員や、高い技術をもったメンバーがサービスから部屋案内の仕方、ベッドメイキング、調理方法までさまざまな内容を実演して、撮影をしています。基礎的なことだと”テーブルクロスの掛け方”とかも。そういった動画は社内のオペレーション開発部が制作してくれています。私たちの世代は動画で学ぶことに馴染みが薄かったのですが、新しく入社した若い世代は、隙間時間や自宅でも意外としっかり見て学んでいるようです。全社だけでなく店舗独自でもノウハウを共有できるので、今の時代に合ったツールだなと実感しています。他にも、ひらまつの他のホテルと同様に、仙石原でもチーズやワインの勉強会を行っています。担当者を一人決めて、資料を作るところから担当してもらうのですが、あえてベテランではなく、次期ソムリエ候補など、ステップアップを目指す人に任せるようにしています。人に教えることで、より深く学ぶことができると考えているからです。この勉強会には、調理チームだけでなく、客室担当スタッフも参加しています。「どんな職種でも、料理に興味を持っていてほしい」というのが、ひらまつの基本的な考え方なんです。——客室担当の方は、どのようなお仕事をされていますか?出勤後は、チェックアウトしたお部屋の点検から始まり、清掃スタッフへの指示、最終確認、露天風呂のセットなど、業務は多岐にわたります。日によってはルームサービスを行ったり、チェックイン時に料理の説明をしたりすることもあるので、調理と同じように“食”の知識が求められる役割でもあります。サービスと調理チームは、昼に一度集まり、会社からの連絡事項やその日のゲスト情報を共有します。その後、調理スタッフが一旦休憩に入った後も、チャットツールなどで「お子さまプレートの追加がありました」といった情報をリアルタイムで連携しています。「自分の仕事だけをすればいい」ではなく、皆でゲスト情報を共有することが、より柔軟な対応やご提案につながると考えています。——お客様は、どのような目的で滞在されることが多いですか?記念日やお誕生日、プロポーズといった特別な日のご利用がとても多いです。たとえば、ここでプロポーズをされ、後日、都内のひらまつで結婚式を挙げてくださり、以来、毎年記念日に仙石原へいらっしゃるというお客様もいらっしゃいます。ブライダル時代に私が担当したお客様が、お子さんを連れてご宿泊くださった時、「この人は、お母さんとお父さんの結婚式を担当してくれた人だよ」と紹介してくださったこともありました。ひらまつは、日常づかいできるレストランから、人生の節目を彩るブライダル、そして家族と過ごすホテルまで、お客様の暮らしにずっと寄り添える存在でありたいと思っています。ひらまつで結婚式を挙げると、その後もレストランやホテルで特別なサービスを受けられます。そんな背景もあり、1日だけの滞在というよりはもっと長期的な関係性が築けていけることがひらまつで働く上での一つの特徴です。働く上で求められるもの——仙石原で働くスタッフに求める人物像とは?いちばん大切にしているのは、「相手のことを思いやれる人」。そして、優しさと強さをあわせ持つ人です。強い人ほど、他人に優しくできると思うんですよね。食への興味があることも大切です。ゲストのご期待に応えるには、料理の背景や意味をしっかりと理解する姿勢が欠かせません。中には、ここで経験を積んで別のホテルやレストランへ羽ばたいていくスタッフもいます。それも素敵なキャリアの一つだと思っています。実際に仙石原で働いてくれていた素晴らしいサービスのスタッフが今では違う店舗で活躍して社内で将来を期待されている人もいます。仙石原を「ちゃんとサービスや料理で力をつけたい」という方が登竜門のような形で腕と人間性を磨ける場所にしたいと思っています。このホテルでの仕事は、1人がいくつもの業務をこなす“マルチタスク”です。上質な空間で、最高の料理を提供しながら、自分の可能性を広げていきたい──そんな方に、ぴったりの環境です。文章・編集:田中幹人写真:田中幹人