2025年夏、三重県伊賀市。かつて市庁舎としてまちを支えてきたモダニズム建築に、いま、新たな命が宿ろうとしています。その名は「泊船(はくせん)」——図書館とホテルが一体となった、伊賀の新たな文化拠点です。坂倉準三が手がけた旧市庁舎の一階には図書館、二階には全19室のホテル。“言葉のうみに浮かぶ”という静かなコンセプトのもと、公と民が手を携えながら、まもなくこの場所に新しい営みが生まれようとしています。そんな「泊船」のはじまりをともにつくりあげる開業メンバーを募集します。この場所に「泊船」をつくった二人のキーパーソン。建設業の視点から全体を統括する船谷哲司さんと、ホテル運営の経験から現場を支える宮嶌智子さんに、じっくりとお話を伺いました。公共と民間をつなぐ「泊船」という挑戦— 泊船というホテルは、どんな存在を目指しているのでしょうか?船谷:このホテルのプロジェクトは、伊賀市との「公民連携事業」としてスタートしました。あまり聞きなれない言葉かもしれませんが、これは“公共”の施設を“民間”のアイデアや運営力でより良くしていく取り組みです。今回のような再生事業は、単にホテルをつくるだけでなく、地域に新しい賑わいを生み出すことが求められます。だからこそ、伊賀の文化や空気を体感できるような、訪れた人の記憶に残る場所にしたいと考えました。伊賀といえば忍者のまち。けれども、私たちはその文脈をもう少しアカデミックに、文化や知の視点から伝えることもできるんじゃないかと考えています。この施設には図書館が併設されているので、観光だけで終わらない、新しい学びや気づきに出会える滞在体験が生まれるはずです。— なぜ、旧南庁舎をホテルにしようとしたのでしょうか船谷:今回のプロジェクトには、図書館と観光関連施設(土産店やカフェなど)を併設するという前提がありました。ただ、それだけでは建物全体のスペースを活かしきれなかったんです。この旧南庁舎は、坂倉準三という著名な建築家が手がけた建築で、文化財としても保護されているため、構造を削る「減築」もできない。「では、空いた空間をどう活かすか?」と考えたときに浮かんできたのが、“ホテル”という選択肢でした。ただ、正直に言えば、最初は簡易的な宿泊施設という案もありました。というのも、元庁舎ゆえに、私たち建設会社の目から見ても水回りが非常に弱く、「フルスペックのホテルにするにはハードルが高い」という印象があったからです。そんな中で背中を押してくれたのが、当時の伊賀市長さんの言葉でした。「この場所を、伊賀のランドマークになるような存在にしたい」 その一言で、私たちの腹が決まりました。簡易宿泊施設ではなく、街の象徴としてふさわしい個性あるスモールブティックホテルにシフトすることを決めたんです。もう一つの理由としては、この地域には高付加価値な宿泊施設がほとんどありませんでした。そういったお客様を迎え入れられる場が必要だという思いもあり、投資は大きくなりましたが、あえてその方向に舵を切りました。「泊船」という名前に込めた想い— ホテル名「泊船」はどのように生まれたのでしょう?宮嶌: 当初は別の名称でプロジェクトが進んでいたのですが、図書館が1階にあり、客室が2階にあるというユニークな構造、そして“坂倉準三の建築に泊まれる”という特別な体験を、より物語として感じられる名前があるのではないかと考えるようになりました。ある時、ホテルの構想をめぐって考えを整理していたとき、図書館には本が並び、言葉があふれている——その様子が、「言葉の海」のように思えたんです。そして、その“海”に浮かぶように2階に佇む客室の姿から、「泊船(はくせん)」という名前が、自然と浮かんできました。不思議なことに、その名前を決めたあとになって、偶然にも松尾芭蕉の別名が「泊船堂」であることを知りました。芭蕉は伊賀の出身。まさかそんなふうに、土地との縁が重なるとは思っていなかったので、本当に驚きましたし、嬉しかったですね。船谷:その名前を聞いた瞬間、「これや!」と即決でした。響きも美しく、この場所にしっくりと馴染んでいて、まさにぴったりの名前やなと。宮嶌:ホテル名については何度か提案させていただいたのですが、「泊船」のときは、名称だけではなく、Webサイトにも掲載している“物語”もとともにお渡ししました。名前の奥にあるストーリーこそが、泊まる体験を豊かにしてくれると信じていたからです。船谷:プレゼンを受けて、「もうこれでいこう」と。その場で即決でした。宮嶌:決まった瞬間、思わず声が出るくらい嬉しくて(笑)。名前に込めた物語も含めて、本当にしっくりきたんです。ホテルと図書館が重なる、新しい宿泊体験— 図書館と一体のホテル。どんな滞在ができるのでしょう?宮嶌:このホテルでは、まちを歩く楽しさも味わってほしいですが、同時に、「館にこもる」という過ごし方も楽しんでいただきたいと思っています。たとえば、1階の図書館で気になる本を見つけて、テラスで読む。静かな館内に身を沈め、言葉と建築に包まれるような、そんな滞在になるはずです。図書館には司書さんもいらっしゃるので、事前に「自分の趣味に合う本を選んでもらう」といったサービスも考えています。たとえば、「3歳の子どもが興味を持ちそうな絵本を選んでほしい」とか、「坂倉準三の建築についてもっと知りたいので、関連する本を用意してほしい」といったリクエストに、図書館の司書さんが応えてくれるような仕組みがつくれたらと思っています。— 夜の図書館というのも特別ですね。宮嶌:そうなんです。通常は入れない「夜の図書館」に滞在できるというのも、泊船ならではの魅力です。夜の館内で絵本の読み聞かせをしたり、自分だけのために選ばれた本と過ごす静かな時間を設けたり。まだ実現に向けての課題もありますが、「できないこと」ではなく「できるようにしていくこと」に挑戦していきたいと思っています。船谷:今やスマホやタブレットで本が読める時代ですが、紙の本を手に取り、ページをめくるという行為自体が、これからは“特別な体験”になっていくと思うんです。だからこそ、図書館という空間が観光資源になり得るし、地域の文化を知るための窓口にもなる。今後は市民だけでなく、旅人にとっても「この町を知る入口」として機能していくのではないかと考えています。モダニズム建築と、現代のホテルデザイン— 建築は坂倉準三氏の設計です。どんな点を大切にしましたか?船谷:まず前提として、この建物はもともとホテルではなく、市役所としてつくられたものです。つまり「ホテルを元の姿に戻す」という再生ではなく、“ホテルとして新たに意味を与えていく”必要がありました。建築好きの方なら「そのままで良い」と思うかもしれませんが、実際に泊まる空間として見たときに、少し物足りなさも感じられるかもしれない。例えば、最初に完成させたモックアップでは、私は「これでいける」と思ったんですが、宮嶌さんには「まだ何かが足りない」と言われて。宮嶌:たとえば市役所って、ビビッドな色や大胆な装飾を入れないんですよね。それは機能的であるべきだから。でもホテルとして考えたとき、それだけでは感性に響かない。坂倉準三の建築にオマージュを捧げることは、大切な出発点です。でも、それだけではなく、いまという時代の中でどう再解釈し、問い直すか。それが、このプロジェクトにおける大事なテーマだと思っています。保存対象の壁には、当時の木型の跡がそのまま残っていて、本当にかっこいいんです。昔は木で型をとってコンクリートを流していたので、その木目や凹凸が、今でも美しいテクスチャとして現れています。そういう坂倉の建築が持つ“記憶”を尊重しながら、現代のデザインとしてどう解釈するか…これはまだ手探りな部分もありますが、必ず表現したいテーマです。図書館とホテルの関係性も非常に象徴的です。図書館は誰でも自由に出入りできて、お金もかかりません。でもホテルはそうじゃない。何度も足を運びたくなるような「動機づけ」が必要ですし、ビジネスとして“売れる”視点も外せません。空間や建築の魅力を保ちつつ、商業施設として成立させる。このバランスをとるのは簡単ではありませんが、それがこのプロジェクトの一番面白いところでもあります。19室のホテルが、4,000室の暮らしを変えていく— ホテルを始めたことで、御社の本業にも影響はありそうですか?船谷: 間違いなくありますね。うちはもともと県内で約4,000室のアパート・マンションを管理していて、それが大きな事業の柱のひとつになっています。社内でもよく言っているのが、「アパート・マンションは終(つい)の住処ではなく、364泊365日の宿泊施設だ」ということ。最近は特に、住む人の期待値がどんどん高くなってきていて、たとえば引っ越してきたその日に蛇口をひねってお湯が出なければ、「不備があった」として、1日分の家賃をどうするかという話にもなります。これはまさに、ホテルで「お風呂に入ろうとしたらお湯が出なかったので部屋を変えてほしい」と言われるのと同じ感覚なんです。— 住まいが“ホテル化”しているような?船谷: そうですね。特に転勤族の方などは、「三重に2年間、そのあとは岡山」といったように、短期的に各地を転々とする暮らしが当たり前になっています。そういった方々に対して、どれだけ気持ちよく暮らしていただけるか――それはもう、ホテルと同じ発想でサービスを組み立てるべきだと考えるようになりました。— 泊船のような小さなホテルだからこそ見えることも? 船谷:まさにそれです。19室という小さなホテルの中で、丁寧に運営のPDCAを回しながら、サービスの質を高めていく。そうやって培った知見は、いずれアパート・マンションの運営にも還元されていくと思っています。もちろん、いきなり4,000室で何か大きく変えようとすると現場が混乱します。でも、ホテルという実験場で「これはうまくいった」という確かな体験がひとつでもできれば、それを社内で共有して、「これなら導入できるよね」と取捨選択ができる。そうやって、19室で得た学びが、4,000室の“暮らし”に波及していく。それがこのホテル事業の、本当の面白さだと思っています。「泊船」で働くということ— どんな方に来てほしいですか?宮嶌:ホテルの経験がある方はもちろん歓迎ですが、「ホテルだからこうあるべき」という固定観念にとらわれず、「泊船だから、こうしたい」と考えられる方と一緒に働きたいです。例えば、ドライヤーを袋に入れるかどうか。そんな小さなことも、「本当に必要か?」と考えて、丁寧に選んでいきたいんです。19室のスモールブティックホテルだからこそ、一人ひとりが裁量を持ち、自分の判断で動ける環境です。「自分で考えて行動することが好き」な方には、すごくフィットすると思います。地域との距離も近いので、働いているうちに自然と「泊船の人」と呼ばれるようになります。その距離感を煩わしく感じるのではなく、楽しめる方に来てほしいですね。船谷:すでにスタッフにも、ホテル未経験の人がいます。私たち自身が異業種からの参入なので、「違うことをリスペクトできる」ことが大切。異なる背景を持つ人たちが集まって、それぞれの強みを持ち寄る。そんなチームが泊船に生まれたら、きっと面白いことがたくさん起きるはずです。文章・編集:田中幹人写真:田中幹人(TOP画像の写真、図書館のパース画像をご提供いただきました)hoteltree(ホテルツリー)は、働きたいホテルが見つかる求人サイトです。宿泊業界の離職率は約30%。入社する理由と、続けられる理由は異なると考えています。続けられる理由まで考え、ホテル業界の取り組みや支配人の想いを紹介していきます。ミスマッチを減らすことを目的に、誠実なホテルと宿泊業を志す人々、それぞれに真摯に向き合っていきます。